北京オリンピックで感じたこと
2008年9月6日
宇佐美 保
連日、テレビ画面を占拠していた「北京オリンピック」も、私にとっては、(開会式も閉会式も見ないうちに)過去の出来事になってしまいました。
それでも、北京オリンピックのヒーローは、競泳の8つの種目で金メダルを獲得したマイケル・フェルプス選手でしょう。
1種類の泳ぎでも世界のトップになるのは大変なのに、自由形、バタフライ、更には、背泳ぎも、平泳ぎも泳がなくてはならない個人メドレーでも金メダルなのですから驚きでした。
しかし、彼が7つの世界記録を出しても、あまり感激しませんでした。
なにしろ、今回の競泳では、スピード社の水着着用によって大幅な記録向上が予測されていたのですから。
勿論、中国で「蛙王」の尊称を得た北島康介選手の、アテネオリンピックに加えて、スピード社の水着着用しての北京オリンピックに於ける100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダルも立派でした。
しかし、私は気が付きませんでしたが、100m平泳ぎの予選記録は五輪新で北島選手を上回り、決勝では2位となったノルウェーのアレクサンダー・デル・オーエン選手の水着は、スピード社のそれではなく、アリーナ社の水着だったと友人は私に教えてくれました。
体型を変形して記録向上を目指す水着が許されるなら、次には、今より積極的に筋肉や腱の働きを助ける水着も出てくるでしょう。
それでは、選手の競争ではなく、水着の競争になってしまいます。
次の大会までに、 北島選手以外にも “泳ぐのは私だ!”と 世界中の競泳選手達が叫び出して欲しいものです。 |
今回のスピード社の水着のように、泳いだ後、選手達が上半身の水着のチャックを直ぐに外したり、脱いでしまう光景は異常です。
同じ、100m、200mでも、陸上のウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の圧倒的な強さには、腰を抜かすほど驚き、笑い出してしまうほどでした。
競技場のトラックの材質、更には、スパイク(靴)の向上などがあって昔の選手の記録とは比較するのは余り意味が無いかもしれません。
しかし、同じトラックを走る他の選手とボルト選手の力の差は歴然としていました。
ボルト選手のような各国の選手、チームの驚嘆すべき活躍に(殊更に、日本選手、日本チームを応援せずに)酔わせてもらっていました。
こんな私にとって、東京新聞(2008.8.14「本音のコラム」五輪と愛国心)に於ける漫画家の倉田真由美氏の次なる記述は異様でした。
どこもかしこも、オリンピック一色である。 普段さしてスポーツに興味のない人も、四年に一度のこの祭典では、自国選手の戦績そしてメダルの行方が気になるようだ。我が家でも新聞のスポーツ欄をまったく読まない母と私が、そろってテレビの前で柔道や水泳に見入っていた。 不思議なもので、会ったことも見たこともない選手であろうと、日本の看板を背負っている人を、無条件に応援してしまう。ろくにルールも知らない競技でも、自国の選手がいい成績を挙げるとうれしい。メダルを手にしてくれたなら、我がことのように誇らしい気分になったりもする。 少し前、教育法の改正で「愛国心教育」について議論がなされていた。 学校で「我が国と郷土を愛する」ことを生徒に教えることの意義。オリンピックを見ていると、そんなことはいかにも「やぼ」に思えてくる。 「愛する」感情は、誰かから教えられて植えつけられるものではない。 もしそんなやり方で愛を埋め込むなら、そればむしろ洗脳に近い。誰にも強制されず、自然に発生する感情だからこそ、愛情は貴いのである。 「国を愛せよ」と誰かから叩きこまれたわけでもないのに、オリンピックで一喜一憂する人がこんなにたくさんいる。 今、周りを見回して、まだまだ日本は大丈夫という気がしてくるのだった。 |
私には、倉田氏がテレビによって「洗脳」されているように思えてありません。
ここで、先の拙文《私は小野伸二選手が好きですが中田英寿選手は嫌いです(1)》にも引用させて頂きました、ケーブルテレビ朝日ニュースターの番組「ニュースの深層」に於ける、葉千栄東海大学教授とスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏による“W杯に見るスポーツ報道の問題点”対談に於ける、谷口氏の(メディアに対する)次の発言を再度掲げさせて頂きます。
スポーツ自体の意義の為に、メディアが何をやらなければいけないか?ではない! W杯の存在意義は、番組(商品)を如何に多くの人間に面白おかしく売りつけるかが全て このような報道をしながら、ナルシズムを全国的に広げ、経済大国ばかりでなく、スポーツ大国になって、大国意識を目指している。そして、それがいつしか国家主義につながってゆく。 今回のように日本人の何処を煽って行けば、60%の視聴率が取れるかという事に、テレビ局は確信を持っている。 そのことを利用して喜んでいるのは、小泉首相なりで・・・ 先の日韓共催のW杯で、対ロシア戦を小泉首相は観戦し、日本が勝って盛り上がった時“国民が一体になること、これほど素晴らしいものは無い”と彼は言った 為政者に一番必要なのは、「愛国者」とか「国民が一体となって、国に対して指示する意志を結集する」事で、この先、この国を何処へ持ってゆくのか? 非常に危ない方向へ持ってゆこうとしている 又、経済的定刻の膨張主義、覇権主義みたいなところに行こうとしているでしょ? なにしろ、2020年のオリンピックでは世界第3位のメダル獲得数を目指しているのですから! こういうことを行うのが怖い この意図が怖い メダル数よりも民衆の日常的なスポーツ環境の整備の方が大事なのではなかろうか!? サムライではなく、本当のスポーツ選手になるべき 潔く負けるのではなく 勝たねば意味が無いではない 負けることの経験の重要性を知っているかどうか? 勝った時も驕らずに 負けるという事がいつ自分に回ってくるか分らない、 ナルシズムではなく、自己分析、自己批判、自己反省が出来るかが、 |
オリンピックは、国家間の戦いではなく、国威発揚を求めるものでもなく、国民の団結を強める事が目的ではない筈です。
参加する各国の選手は、祖国の栄光の為に競技をするのではない筈です。
オリンピック憲章に書かれた「オリンピックのモットー」は、次のようです。
「より早く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」というオリンピックのモットーは、オリンピック・ムーブメントに所属するすべての者へのIOCからのメッセージであり、オリンピック精神に基いて研鑽することを呼びかけたものである。 |
世界各国の人達が平和的に一堂に会して、互いに磨き上げてきた技を競い合うことが私達に感動を与えてくれるのだと存じます。
そして、「世界は一家、人類は皆兄弟」(笹川良一氏の言葉)を確認しあう事ではないのでしょうか!?
ですから「星野ジャパン」、「反町ジャパン」などと奇妙な名称がついた野球やサッカーチームの試合には、チャンネルを合わせようと思いませんでした。
それでも、思い出す事が一番好きな場面は、卓球の福原愛選手の活躍と彼女に対する中国の方々の好意的な応援です。
この件に関しては、東京新聞(2008.8.21夕刊)の記事を抜粋させて頂きます。
卓球女子シングルス四回戦で二十一日、福原愛選手(19)が第一シードの張恰寧選手(二六)と当たった。 福原選手は中国で最も人気がある日本人。アテネ五輪二冠で中国卓球界の代表格の張選手に胸を借りたが、1―4で完敗。愛ちゃんの「北京の夏」は終わった。 ・・・ 「フーユェンアイ(福原愛)!」。卓球会場の北京大体育館に福原選手が登場すると、いつも大歓声に包まれる。 中国人にとっては、二〇〇五年からの二シーズン、世界最高峰の中国超級リーグでプレーしたなじみの深い選手だからだ。 二シーズンの戦績は、シングルス六勝十二敗、ダブルス十三勝十一敗と振るわなかったが、ひたむきなプレーと礼儀正しさ、かわいらしさも手伝ってファンの心をつかんだ。磁器の人形を意味する「瓷娃娃」(ツーワーワー)の愛称も定着している。・・・ |
次に楽しい思い出は、多くの日本人の反対にもメゲズに、中国のクロナイズドスイミングのコーチを引き受け、中国チームを銅メダルに導いた井村コーチの活躍です。
この件は、毎日新聞(8月23日)を引用させて頂き来ます。
異国で教えた選手たちを次々に抱きしめた。23日、シンクロナイズドスイミングのチームで、日本を引き離して銅メダルを獲得した中国代表のヘッドコーチ、井村雅代さん(58)は、何度も目元をぬぐった。自分を信頼し、すべてを託してくれた人たちに応えたかった。「国なんて関係ない。コーチとして幸せです」。その胸元で、選手たちがかけてくれたメダルが輝いた。 試合直後のインタビュー。涙を流す選手たちを横目に「驚きではなく目標だった。だから私はまだ泣いていません」と笑った。 表彰式が終わり、教え子たちに囲まれ、メダルを首にかけられると目が真っ赤になった。「感動しちゃった」 ・・・ 「日本のシンクロが評価されるためには、コーチが海外に出て行って認めさせなければならない」。そう考えるようになった。 ・・・ |
勿論、スペインチームに銀メダルを齎した藤木麻祐子コーチにも感動しました。
日本でも、体操や、飛び込みや、バトミントンなどの選手が外国のコーチの指導を受けていた筈です。
それなのに、何故、井村氏が中国チームを指導する事で“売国奴!”などの非難を浴びなくてはならないのでしょうか?!
その上、次のような記事も見ました。
「井村コーチ」棚に上げ中国「郎平裏切り」論争 http://www.sponichi.co.jp/olympic/flash/KFullFlash20080820051.html 【北京五輪・バレーボール女子】中国人の郎平監督率いる米国が勝ち進んでいる。米国は監督の母国中国も破っており、中国国内では郎平監督をめぐり「裏切り者」か「中国の誇り」かの論争が起きている。米国がベスト4進出を決めた19日夜の対イタリア戦。逆転勝ちして郎平監督がコートを去るときには観客席から「郎平!」と声援もあがった。遼寧省からきた肖洋さん(30)は「郎平がいるから米国を応援した。中国にも外国人コーチがいるし、お互いさまだ」。 「郎平は裏切りものか」。あるインターネット上の投票では「裏切り」(25%)との声が「裏切りではない」(13%)を上回った。ただ中国もシンクロナイズドスイミングの井村雅代コーチを始めバスケット、ホッケー、フェンシングなど外国人コーチは多い。「米国チームを率いるのは中国人の誇り」といったネット上の書き込みも多い。 (共同) [ 2008年08月20日 18:52] |
私は、この記事の中の「郎平がいるから米国を応援した」肖洋さんと同様に、「井村さんがいるから中国を応援した」のです。
もっともっと世界の人々が交流して、各国のよさを互いに認め合い、助け合い、協力し合い、心を通じ合わせることの大切さを確認する事が必要なのではないでしょうか?
オリンピックはその大事な場であって欲しいものです。
ですから、東京新聞(2008.8.21夕刊)の「ブーイングは恥ずかしい」との齋璐璐(チールールー)さん(二十六歳=靴店社長秘書、北京市)の次の談話に心が和みます。
― 他国チームへのブーイングも愛国心? 恥ずかしいことね。中国のスポーツファンの欠点で、うっぷん晴らしで相手がどこだろうとののしるのよ。 |
それにしましても、2002年に日韓で開催された際の、自国のみではなく世界の国々を応援した日本の若いサッカーファンは、どこに行ってしまったのでしょうか?
それとも未だに健在なのでしょうか?
健在であって欲しいものです。
そして、私は次の記事が大好きです。
中国紙、井村ヘッドコーチを称賛/シンクロ sanspo.com(2008.8.25 05:06) 24日付の中国各紙は、中国にチーム初の銅メダルをもたらした井村雅代ヘッドコーチを称賛する記事をこぞって掲載した。中国体育報は1ページのシンクロの記事6本のうち3本で井村氏の名前を見出しに取り「すばらしい効果があった」とたたえた。新華毎日電訊は「井村氏の指導法で中国チームはレベルアップした」と強調。今後の去就について「チームを離れないでほしい」との選手の話を伝えた。 |
(補足)
それにしましても、今回のオリンピックでは、ソフトボール、サッカー、バトミントン、レスリング、柔道などでの日本女子選手の活躍には感動しました。
そのなかで、柔道がすっかり「JUDOU」に変化してしまったと感じました。
柔道着の前がはだけていても、主審は注意しません。
最初は、はだけて見える男子選手の肉体が余りに素晴らしいので、その選手が自分の肉体を誇示する為に、はだけさせているのかと思いました。
でも、どうも相手の技がかかり難くする為のようでした。
そして、塚田真希選手の決勝で対戦相手のトウ文選手の帯びは締め方が緩く、試合中に何度も何度もほどけていました。
佟トウ文選手は、ほどける度に当然ながら、帯を締めなおします。
この行為によって、トウ文選手は、休憩し、息を整えているように感じました。
なのに、最後の数十秒前までは主審は一度も注意しませんでした。
その最後の注意の後、やっとトウ文選手は帯をきつく締めました。
(そうでしょう、もう休憩する時間は必要ありませんから!)
そして、皮肉な事に、その数秒後かに、トウ文選手の逆転技で塚田真希選手は金メダルを失い、銀メダルとなってしまいました。
なのに、試合後、塚田真希選手がトウ文選手の試合態度を非難しなかったようです。
立派な事と存じます。
(補足:2)
一番感激したのは、松田選手の既存の組織、制度に依存せず、久世コーチ共々獲得した男子200バタフライの銅メダルでした。
この件は、サンケイスポーツ(2008年8月14日)の記事を引用させて頂きます。
男子200メートルバタフライ決勝で、松田丈志(24)=ミズノ=が1分52秒97の日本新記録で銅メダルを獲得した。宮崎・延岡市のビニールハウスで覆われた25メートルプールを拠点に、4歳から指導を受ける久世(くぜ)由美子コーチ(61)と二人三脚で、苦節20年。人呼んで「ビニールハウスのヒーロー」が悲願のメダリストに輝いた。
・・・
表彰台から降りた松田は、まっ先に応援席の久世コーチに歩み寄る。
「ありがとうございましたっ」。短い言葉と、花束を贈った。
「これが4年間がんばってきた自分色のメダルだと思う」
・・・
出会いは松田が4歳のとき。かつて旭化成で選手だった同コーチがボランティアで指導する東海(とうみ)SCに入門した。施設は宮崎・延岡市の中学校の25メートルプール。冬は気温10度を下回り、父兄のカンパで天井をビニールで覆った。男3人、女1人の兄弟で育ち、2人の娘も持つ久世コーチの指導は、厳しかった。
「ビンタや蹴りは入れましたよ。でも“帰れ!!”と怒鳴っても、丈志だけはプールから出ようとしなかった」
中学で松田は中長距離自由形で全国敵なしに。卒業時、強豪校の誘いを受けても久世コーチの元を離れようとはせず、延岡学園高へ。中京大から「コーチ同行で入学を」と誘われ、愛知での共同生活を決断した。
(筆者注:他の大学は、松田選手が久世コーチと離れる事を条件とした為)
・・・
20年間に及ぶ二人三脚の結晶が、ついにブロンズ色に輝いた。・・・ |